2010年8月24日火曜日

パナソニック合唱団からの委嘱作品「Cantata Amoris」のリハーサルで大阪に行ってきました。9/4の全曲初演はきっと素晴らしい演奏になるでしょう!


指揮者の本城さんと相談中

テナーに一言

和音の説明中


2010年8月20日金曜日

演奏家と作曲家

ある曲をきちんと演奏しようと思ったら、演奏をする人は、その曲が好きでなければいけません。嫌いではない、というレベルではダメなのです。というわけで演奏家になるには「多くの曲を好きになることができる」というのが、ある意味、必須の条件になります。

  一方、何か新しい曲を書こうと思ったら、作曲をする人は、それまでに存在する曲の(ある意味)嫌いになる(欠点を指摘したり、改善点を見出したり、または 全く今までの曲の価値を否定する)必要があります。この点では、作曲家になるには「多くの曲にダメだしすることができる」というのが、ある意味、必須の条 件になります。

  演奏家と作曲家は同じ音楽の世界に住んでいますが、その考えも存在理由も全く異なります。その活動行為自体が意味のあるものである演奏家と違い、作曲家は 価値のある作品を書いたときのみ、その存在理由がでてきます。古い演奏家は死んでいくので、新しい演奏家というのは常に必要とされるのですが、作曲家は死 んでも作品が残るので、新しい作曲家は、既にある作品より優れた点をもつ作品を書くことができないと、存在の意味がありません。レオナード・バーンスタイ ンは20世紀を代表する音楽家ですが、彼は晩年まで純音楽作品が、あまり評価されなかったことにとても苦悩したといわれます。彼は、ミュージカルや映画音 楽に基づいた曲では大成功をしていましたが、純音楽作品に少しでも手を染めた人には、商用音楽の評価はあまり意味をもちません(書くのが容易で、分かりや すく受けやすい音楽だというのは分かっているからです)。もちろんバーンスタインは大指揮者として認められてはいましたが、そのことも彼にとっては些細な ことだったのかもしれません。偉大な、そして売れっ子の指揮者(演奏家)として、作曲とは相反するものを要求されながら、純音楽の作曲を続けていくこと は、とても辛いことだっただろうと思います。


 さて、ダンテの神曲という文学作品があって、以下の文章があります。

この門をくぐる者、一切の希望を捨てよ


も ちろん、これは地獄への門に彫られた言葉なのですが、もし作曲家の門などというものがあるのなら、上の文とは同じではないかもしれませんが、似たようなこ とが書かれているのではないか、と思います。一方、演奏家の門というのがあったら、きっと素敵なことが書かれているに違いありません(笑)。

2010年8月17日火曜日

SHの発音

 英語にあって日本語に無い子音というので、よく知られているものは「L」 「英語のR」「TH」なのですが、以外に知られていないものに「SH」の発音があります。それは英単語で言うと「shot」「she」「shook」 「shell」「shock」といった単語にあらわれます。

  さて、ここで「あれ?」と思う人もいるかもしれません。というのも日本語にもSHの音があって、それは「しゃ、し、しゅ、しぇ、しょ」行に現れていている からです。学校でSHは日本語と英語で同じと習った人もいるかもしれませんが、間違っているので忘れてください。この英語と日本語のSHの音は「違う音」 です。あまり聴きなれていないと、この英語と日本語のSHは同じに聞こえてしまうのでしょうがないかもしれませんが・・・。ですが、英語のネイティブの人 が「この日本人のSHの発音は何か変だなぁ」と感じたり、日本人が「この外国人の話す《し》の音は何か変だなぁ」と漠然と感じる原因になったりもするの で、SHの発音の習得は発音力アップには必須!と覚えてください。

  日本語のSHの音は「無声歯茎硬口蓋摩擦音」 、英語のSHの音は「無声後部歯茎摩擦音」と学問的には呼ばれていますが、この二つの音の違いを作る大きな原因は舌の位置です。乱暴に言えば、日本語の SHは、「い」の母音のような舌の位置で、英語のSHは「(英語の)う」の母音のような舌の位置だ、ということになります。そして、殆どの場合、英語の SHの発音には若干、唇の丸まりも加わります。以上のことから、音響学観点から言えば、日本語のSHの方が高音の成分を含んだ音がつくられます。ちなみ に、フランス語やイタリア語、そして合唱をする人ならばラテン語のSHも全て英語のSHと同じです。

 さて、私がこのSHの音の違いを強く感じるのは、外国の合唱団に日本語や私の日本語曲の指導をするときです。英語圏の合唱団の場合は、経験から言って、日本語のSH(主に「し」の発音)と促音(「っ」)さえできれば、発音的にぐーっと完成に近づきます。

 ここでは具体的な練習方法は書きませんが、みなんも英語の発音を勉強するときには、RやLやTHといった強豪だけではく、SHにも注意を払うと外国語だけではなく日本語の発音もより良いものになるのではないか、と思います。

2010年8月12日木曜日

1%のひらめきと99%の努力

天才は1%のひらめきと99%の努力
Genius is 1% inspiration and 99% perspiration.

  これはトマス・エジソンの有名な言葉ですが、これは努力の重要性を示す言葉として引用されることがよくあります。しかし、私にとってこの文は、ひらめき (インスピレーション)の重要性を示すものです。言い換えるならば「ひらめきがない努力には意味が無い」ということであり、音楽的に言い換えれば「素晴ら しい楽曲は、ひらめきという土台に立てられた努力である」となります。

  このような考え方は、芸術だけではなくビジネスにおいても大切なことです。「失敗するなら、速くそして早く(Fail fast and fail early.)」というのはビジネス界では有名な言葉ですが、これもエジソンの言葉と基本的には同じことを言っています。どれだけ努力をしようが、最初の 前提やステップが間違っているもの(ひらめきがないもの)は成功しない。だから、失敗を受け入れるのが速く、そして早いほど、相対的に損害も減り、次への 成功の確率が高くなる、というものです。

  人や物が成功するには、「努力」または「努力した」ということに対して執着をしてはいけません。「努力」は、人間性の評価には重要なことですが、努力自体 は、個人の技術的・能力的な成熟度や製作物の価値には全く関係ありませんし、場合によって、それは冷静で客観的な判断をするのを曇らせてしまいます。

天才は1%のひらめきと99%の努力だが、0%のひらめきと99%の努力からは何も生まれない
Genius is 1% inspiration and 99% perspiration, and Nothing is 0% inspiration and 99% perspiration.

 少々冷たいようにも思えますが、このことに早く気づき行動をおこす、または修正していくことは重要なことだと思いますが、皆さんはどう感じますか?

2010年8月10日火曜日

KUSC

 ロサンゼルスには、KUSCという24時間放送のクラシック音楽専門FMラジオ局があります。ロサンゼルスに住んでいたときには、車に乗っているときに聴いていて、「これは!」と思った曲のタイトルなどを局の公式サイトでチェックしていました。
今は、ロサンゼルスに住んでいませんが、KUSCはインターネット放送もやっているので、ネットを通しても聴けます。よい時代になったものです(笑)。もし、コンピュータで作業する時間が長い皆さんは、聞いてみてはいかがでしょうか?


KUSCのサイト


サイト上の”Listen Now”できけます。
Playlistでは放送予定曲や情報が確認できます(ロサンゼルス・西海岸時間表示です)。

2010年8月3日火曜日

コル・レーニョ

 オーケストラの弦楽器の奏法に「col legno(コル・レーニョ)」というのがあります。これは、「弦を弓の木の部分で叩いて音を出す」奏法で、通常の「弦を弓の毛の部分でこすって音を出す」ものとは違い、叩くノイズが虫のように入った特別な音になります。

 さて、このコル・レーニョですが、弓が傷つく可能性があるので、弦奏者には敬遠される奏法です。良い弓は、良い楽器と同じくらい高価なので、私も、コル・レーニョは、なるべくピアノかそれより弱い音量の所でしか指定しないようにしています。

  ですが、映像のための音楽、特にホラーやミステリーのシーンには、強いコルレーニョがどうしても必要なときが出てきます。さて、そのような音楽があるオー ケストラ録音の際には、私は必ず、「未使用の鉛筆」をたくさん持っていって、バイオリンやビオラ奏者には弓の代わりに鉛筆で弦を叩くように頼んでいます。 初めての一緒になる奏者は、「え?」という顔をしますが、実際のところ、小さい鉛筆は弓よりもコントロールしやすく、弓のときとは違い、奏者も思い切り良 く鉛筆で弦を叩いてくれるので、結果として、弓を使うよりも鉛筆の方が良いコルレーニョの音が出ます(笑)。チェロやベースは鉛筆だと軽すぎるので、太目 の油性マジック等を使ってもらいます。

 もちろん、これは録音セッションだから可能なことで、コンサートでこれをやったら、冗談になってしまうでしょう。ということで、私は常々、弦楽器製作者が立派なコンサート用鉛筆やコンサート用油性マジックを製作してくれたらいいのになー、と思っています(笑)。

2010年8月1日日曜日

精神

私が中・高校生の頃に読んでいた漫画に、「3x3 EYES (サザンアイズ)」高田裕三・作というものがあります。この漫画に、瀕死の老魔術師マドゥライ(コーネリー)が、主人公・藤井八雲に、戦い方を教える、と いうシーンがあります。そこで、マドゥライは八雲の心に以下のように語りかけます。




驚くことはない 八雲!!!
落ち着いてイメージを広げるのだ

常識に縛られるな!! 限界を考えるな!!
いつでも思考は無限に広げろ!!

自分には無限の力があるのだと―
今は発揮の仕方が分からぬだけだと―
そう自分を信じるのだ

そうでなければ たった一度しかない人生が終わる時まで
己<おのれ>という最高の僕<しもべ>をコントロールしきる事はできぬ!!

肉体に限界はあるが精神に限界はない
自分の力を信じよ


(TAKADA Yuzo, 3x3 Eyes vol. 17., Kodansya, INC, Tokyo Japan, 1994, p107-109)




このシーンは私のお気に入りなのですが、このマドゥライの台詞は、創作をするときには特に心に留めておきたいと思っています。