2010年8月20日金曜日

演奏家と作曲家

ある曲をきちんと演奏しようと思ったら、演奏をする人は、その曲が好きでなければいけません。嫌いではない、というレベルではダメなのです。というわけで演奏家になるには「多くの曲を好きになることができる」というのが、ある意味、必須の条件になります。

  一方、何か新しい曲を書こうと思ったら、作曲をする人は、それまでに存在する曲の(ある意味)嫌いになる(欠点を指摘したり、改善点を見出したり、または 全く今までの曲の価値を否定する)必要があります。この点では、作曲家になるには「多くの曲にダメだしすることができる」というのが、ある意味、必須の条 件になります。

  演奏家と作曲家は同じ音楽の世界に住んでいますが、その考えも存在理由も全く異なります。その活動行為自体が意味のあるものである演奏家と違い、作曲家は 価値のある作品を書いたときのみ、その存在理由がでてきます。古い演奏家は死んでいくので、新しい演奏家というのは常に必要とされるのですが、作曲家は死 んでも作品が残るので、新しい作曲家は、既にある作品より優れた点をもつ作品を書くことができないと、存在の意味がありません。レオナード・バーンスタイ ンは20世紀を代表する音楽家ですが、彼は晩年まで純音楽作品が、あまり評価されなかったことにとても苦悩したといわれます。彼は、ミュージカルや映画音 楽に基づいた曲では大成功をしていましたが、純音楽作品に少しでも手を染めた人には、商用音楽の評価はあまり意味をもちません(書くのが容易で、分かりや すく受けやすい音楽だというのは分かっているからです)。もちろんバーンスタインは大指揮者として認められてはいましたが、そのことも彼にとっては些細な ことだったのかもしれません。偉大な、そして売れっ子の指揮者(演奏家)として、作曲とは相反するものを要求されながら、純音楽の作曲を続けていくこと は、とても辛いことだっただろうと思います。


 さて、ダンテの神曲という文学作品があって、以下の文章があります。

この門をくぐる者、一切の希望を捨てよ


も ちろん、これは地獄への門に彫られた言葉なのですが、もし作曲家の門などというものがあるのなら、上の文とは同じではないかもしれませんが、似たようなこ とが書かれているのではないか、と思います。一方、演奏家の門というのがあったら、きっと素敵なことが書かれているに違いありません(笑)。

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