2010年12月1日水曜日

Sweet Days 男声版初演

 先日、東京男声合唱フェスティバルで合唱団「ゆとコラ!!」がSweet Daysの男声版を初演しました。この曲は混声版が知られているので、もともと混声のために書かれた、と思っている人が多いのですが、この曲は元々4声の 男声合唱のために2003年5月に書きました。それを同年の9月に混声に書き直したものが現在の混声版になります。
新しい男声合唱版は、も ちろん2003年のものではないのですが、2つの版を比べると、「歌手として、作曲家として成長したなー」と素直に感じます(笑)。元の男声版の最高音は Fですが(これは混声版も同じです)、これは当時私が出せる最高音がFナチュラルだった、ということに由来します。自分で歌ってデモを作る前提だったの で、そうなっていたわけです。新しい男声合唱は6声で、最高音もBナチュラルです。今ではファルセットも簡単です(笑)。


さて、現在は私が公開している男声合唱は、「Then Christmas Comes」 と「Sweet Days」の2曲しかないのですが、実は男声合唱用に書いた曲というは、結構多くあります。そのほとんどが2003年頃、つまり私が合唱曲を書き始めた頃 に集中しています。自分で全パートを歌って曲を録音する前提だったので、男声合唱が主だったわけです。まぁ、曲としてはクオリティーが低いので、今後も絶 対に公開しないと思いますが、機会があれば男声合唱のレパートリーは増やして生きたいですね。


というわけで、初演の前のリハーサルをとったビデオです。「ゆとコラ!!」のみなさん、お疲れ様でした。





で、これは混声版の初演です。カリフォルニア州北部、シェルダン高校の合唱団です。



さ て、Sweet Daysですが、詩はGeorge Herbert(ジョージ・ハーバート)という17世紀初頭の詩人の作で、内容を要約すると「すべてのものは死んでいくが、魂だけは生きつづける」という ものです。さて、この詩に最初に出会ったのは、イギリスの作曲家Vaughn-Williams(ヴォーン・ウィリアムズ)の「Sweet Day」という曲を歌ったときなのですが、私の「Sweet Days」は、ヴォーン・ウィリアムズの曲を歌いながら「この曲よりは、もっと良い曲がかける」と思ったのが作曲にいたった動機です(笑)。

2010年11月25日木曜日

全日本合唱コンクール 全国大会 感想

 先週末は全日本合唱コンクールの大学・職場・一般ABの全国大会が兵庫県で行われました。今年は大学部門で創大銀嶺合唱団と都留文合唱団の2団体 が私のMissa pro Paceの4楽章目のAgnus Deiを演奏する、ということ、都留文合唱団から指導もかねて全国大会へのお誘いがあり金・ 土・日・月と兵庫県に行ってきました。私は全部門ともに、ステージのど真ん中、2列目の席で、皆さんの生き生きとした表情を観ながら演奏を楽しませてもら いました。そして、発表後の打ち上げでは沢山の皆さんとお話しする機会もあり、とても充実した時間をすごすことができました。参加された合唱団の皆さん、 そして運営に携わった皆さん、本当にお疲れ様でした。メール等で感想を送ってくれた皆さんもありがとうございました。


 さて、ここから以下は私が全国大会の演奏全体を通して感じた事を、徒然と書きたいと思います。全国大会に出場する団体は全てレベルの高い団体です。それを踏まえたうえで、皆さんが今後さらによい音楽作りをしていくための参考になれば幸いです。


出だし (課題曲)
例 え「課題曲と自由曲の審査の割合が50・50だという前提」があったとしても、最初に演奏される曲の出だしは、観客(審査員)が受ける団の全体的な判断に 強く影響します。このコンクールでは課題曲が先に演奏されるため、特に出だしの練習はきっちりと、そしてどんな状態でも安定した演奏ができるように練習を するのが良いでしょう。


発音 (子音)
 歌う言語に関わらず「子音の発音」は特に しっかりと行わなければいけません。合唱(歌)の場合「通常の倍以上出して大体バランスがとれる」くらいに思っていなければいけません。物理的に言えば、 子音というのは、決まった音程を持たない特定の周波数群(ノイズとも言える)を基礎とする(有声子音はそこに声帯から発生する音程も加わる)もので、その 周波数は高音域に集中しています。そして、高周波は低周波よりも遠くまで伝わらないという性質があります。例えば、遠くの野外ロックコンサートから低い 音、バスドラムやベースは聞こえるけれど、上の楽器はあまり聞こえないといったようなことと同じです。
 さて、以上のことから、とくに 「K」「Ts」「T」「P」といった子音は、かなりはっきりと発音する必要があるのです。「G」「Dz」「D」「B」といった有声子音も同じですが、これ らは前述の無声子音とあわせて「破裂音」系の子音なので、うっかりすると母音までつられて変な風に大きくなってしまうときがあります。母音に影響しないク リアな破裂音の発音というのは特に重要になるので、皆さんよく練習すると良いでしょう。 


 「N」「M」「V」「F」「S」「Z」といった持続可能な有声子音も、歌のラインにエネルギーをこめることができる子音になります。上手く使って生き生きとした表現を目指すと良いでしょう。
 また、英語の歌を歌った団体がいくつかありましたが、「Th」の発音は特にしっかり練習すると良いでしょう。


発音 (母音)
 「母音の質の統一」というのは、日本の合唱団が特に力をいれて練習しなければいけない点です。特に「u」の母音の発音と、「i」の母音の発音がほぼ全ての団で良くありません。一朝一夕では改善しない問題ですが、常に頭において練習しましょう。


 Rの発音やLの発音を行った際、その前後の母音がRやLの舌の形に引っ張られて、変な母音になっている人や団があります。これは直しましょう。


 英語を歌った団体は、特に「閉じたイ(発音記号では大文字のIが小さくなったもの。短母音のイ)」と「あいまい母音(ショワー)」の発音を身に着けましょう。


 ド イツ語を歌った団体は、特にウムラウトといわゆる「閉じたエ([e] 日本人にはイとエの中間に聞こえる)」の発音を身に着けましょう。また、この「閉じ たエ」ですが、女声で「普通のエ(開いたエ)」を歌おうとして「閉じたエ」になっている人がいます。全体から浮いて聞こえてしまうので直しましょう。


 子音の発音に気をとられて、母音が不必要に短くならないように注意しましょう。特に、ドイツ語、英語は注意です。


選曲 
 なるべく「ホモリズミック(みんなが同じ言葉を一緒のタイミングで歌う)」な曲が続かないようにしましょう。言語やテンポが違う曲でも、ホモリズミックな曲が続くと、あまり変化がないように聞こえます(もったいない)。


 ピアノは平均律の打楽器で、合唱とは本来あまり相性の良い楽器ではないが、上手く使えば声にはない色をそえることできる、ということを考慮に入れて選曲しましょう。


リーダー
 指 導者の力というのは、はっきりと歌の表現力に現れます。指導者と指揮者が一緒である必要はありませんが、良い耳と音楽的な方向性を示すことができる指導者 がいないと一定以上の表現は難しくなってきます。個々の能力や総合力が高い合唱団ほど、「船頭多くして船山に登る」の状態や、「全員の意見をとりいれた ら、なんとも平凡な表現になった」「とりあえず楽譜に準じて歌ったら、なんとなくノッペリとした演奏になった」といった残念なことにならないように注意し ましょう。


 


さて話は変わって、大会前日に都留文合唱団のリハーサルでAgnus Deiの指導をする時間をもてたのですが、その際にビデオを撮ったので、アップします。
mp3を聞く


2010年11月12日金曜日

MindManager (マインドマネージャー)

   私が普段使っているソフトウェアに「MindManager(マインドマネージャー)」というものがあります。これは、Mindjet Corporationと いう会社が開発しているソフトウェアで、グラフィックと柔軟性に特化した「アウトライン」を製作するもので、論文や本などのアイデアを視覚的に、柔軟に、 そして分かり易くまとめるのに役に立ちます。見た目や使用感はマイクロソフト社のオフィスなど標準的なビジネスソフトと同じです。ビジネス関連の長文、論 文、小説など長い文章を書いたことのある方なら、とりあえずアイデアを出し合うブレインストームとアウトラインを柔軟に練ることの大切さを分かっていると 思いますが、MindManagerはこの作業に特化したソフトウェアなのです。


   現在では、文書作成(Wordなど)、表計算(Excelなど)、プレゼンテーション(PowerPoint)に関連するソフトウェアというのはビジネス 上、一般的なソフトウェアとして認識されていますが、これにもう一つ追加するとしたら、MindManagerのようなアウトライン作成ソフトではない か、と思います。紙やWordなどでもアウトラインやアイデアのメモは作ることができますが、特に長文を作る機会の多い方や視覚的にアイデアをまとめたい 方は、MindManagerを試してみてはどうでしょうか?生産性がかなり向上すると思います。



2010年11月5日金曜日

グーニーズ (映画)

映画「グーニーズ」は私の子供の頃からのお気に入りの映画の一つで、今でも時折DVDを取り出して観ています。作品をご存知のない方のためにストーリーを要約すると、この映画は80年代前半にアメリカで製作された作品で、アメリカ北西部の自然が残る田舎町を舞台に、十代の子供たちが家族の家の立ち退きを阻止するために海賊の宝探しをする、というものです。映画の詳細はこれ以上は触れませんが、私がこの映画の好きな理由の一つが音楽です。デイブ・グルーシンが作曲したサウンドトラックは、チャーミングかつ印象的で、個人的には映画音楽の中でもトップクラスの質だと思っています(主題歌はシンディー・ローパーでとても80年代的に元気です・笑)。

さて、この映画のサウンドトラック(歌ではない、アンダースコアの方)ですが、入手が不可能に近いという状態が続いていました。今年になって、Varese Saradandeというレーベルが映画25周年を記念して、アンダースコアのCD(初・完全版)を5000枚ほどリリースしたのですが、それを最近ようやく入手できました(既に中古でプレミア価格がつきはじめている)。長年ずっと欲しかった物なので、入手できてとても嬉しかったのと同時に、映画作品(他の芸術作品でもよいですが)が時代を超えて受け入れられるには何が重要なのかという事について、再考する良い機会にもなりました。

映画「グーニーズ」で言えば、この作品の一番の魅力は、子供時代には誰もがあこがれる、そして大人なっても心の片隅にずっと持ち続けるだろう冒険心や好奇心を、超能力やハイテク技術などの手を借りず、等身大に描いたことにあると思っています。もちろん、映画自体は、今日のCGや高い音質などと比べると落ちるのですが、そんなことは、作品の本質というものには関係ない、ということを改めて確認させてくれます。

私にとって映画「グーニーズ」は、時代、社会、文化に関係なく、人間にとって恋、愛、友情、知恵、努力、成長、美といったものは普遍的に尊ばれる、ということを確認させてくれる作品の一つです。みなさんも、機会があれば一度ください。


PS.
さて、脚本エディターとして別の視点からこの映画を語るとすれば、「人物を個性的に(魅力的に)描ききる」という物語を形作る上で最も大切なことを行うことの重要性の確認、ということになるでしょう。小説にしても映画にしても、初心者は「世界観」を描いたりや「ストーリー」を追う事に手一杯で、人物を描くのを忘れる傾向があります。結局のところ、私たちは「人」に共感するものだ、ということは常に頭に入れていないといけないでしょう。





2010年10月12日火曜日

2010年度 Nコン スペシャルステージ 「んばば・ラブソング」

 2010年度のNHK全国学校音楽コンクールの全国大会が小中高とそれぞれの部門で10月9日から11日にかけて行われました。今年は色々ご縁も あって、小学校の部のスペシャルステージの編曲を担当させていただきました。私は会場で聞いていたのですが、幸いにも評判は良かったようで、演奏後に話し た参加校の先生や小学生の皆さんからも、又は後ほど電話やメールでも、良いお返事を頂いて嬉しかったです。


 さて、 今回私は「んばば・ラブソング」という曲を編曲しました。この曲は元々「南国少年パプワくん」という90年代初めのアニメ・ソングで、今年の課題曲の作詞 をなさった里乃塚玲央<<りのづかれお>>さんが作詞をなさっている作品なのです。アニメ作品 自体は今の小学生は恐らく知らないものなので(若い先生の方が知ってた・笑)、「この曲にきまったのはなぜですか?」という質問も実は多くもらいました。
 というわけで、この疑問に答えるべく、今回の選曲についての書いておこうと思います(笑)。


  実は、当初今回の編曲の話がきた当初、NHKの担当ディレクターの方から頂いた曲は、この曲ではなく、里乃塚さんが作詞をされてNHK「おかあさんといっ しょ」で放送された別の曲で、比較的新しく、小学生の皆さんも知っている作品ということでした。ですが、渡された楽曲を聴いてみての私の感想が「うーん、 小学校中学年から高学年が歌うこと、スペシャルステージということなどを考えると、もっとふさわしい曲があるのでは?」というもので、それを担当の方に伝 えたところ、先方も選曲には悩んでいたらしく、曲について一から考えることになりました。
 それから、最近のNHKのアニメソング等も色々 検討しながら、ウィキペディアやYouTubeを調べていたのですが、たまたま里乃塚さんのページを見ていると「んばば・ラブソング」と書いてあるのを発 見。私は元々、原作(愛蔵版もってる)もアニメ(毎週観てた)も曲(サントラCDもってる)も知っていて、この曲はどうですか?と他のNHKのアニメソン グと一緒に提案しました。
検討の結果、作詞が里乃塚さんだということ、最初の案の曲の作曲者でもあった小杉保夫さんが作曲していること、原 作の版権もアニメの放映もNHKではないけれども、たまたま私が原作の出版社とも別件で仕事をしていたということ等々、色々あって「んばば・ラブソング」 に決定しました。
 というわけで、原作や原曲を今の小学生が知らないということは承知の上で、それが関係ないくらいに「楽しく」、「みんな が参加できるスペシャルステージの曲を作ろう!」ということで出来上がったのが今回の合唱版「んばば・ラブソング」になります。譜面をみるとわかるのです が、「手拍子」や「掛け声」などの他にも、パーカッションを自由に付加できるようになっていて、アイデアとしてはゲストのパックンマックン等にそのパート などで参加してもらうことも考えてはいました(彼らも、手拍子などで上手く参加してくれていましたね・笑)。


 スペシャルステージということで、時間は短かったのですが、里乃塚さんの解説、指導の古橋先生、パックンマックンの絡み等あり、楽しいステージになったのではないか?と思っています。みさなんはどう感じられたでしょうか?

チェコ・ロサンゼルス・東京

9月末から、チェコ・ロサンゼルス・東京と、色々とても忙しく、まったくブログの 更新ができませんでした(汗)。諸所の事情から具体的には色々言えないことも多いのですが、とりあえず写真を数点貼っておきます。また、情報の開示等OK な時点で、少しずつお知らせしたいと思います。













2010年8月24日火曜日

パナソニック合唱団からの委嘱作品「Cantata Amoris」のリハーサルで大阪に行ってきました。9/4の全曲初演はきっと素晴らしい演奏になるでしょう!


指揮者の本城さんと相談中

テナーに一言

和音の説明中


2010年8月20日金曜日

演奏家と作曲家

ある曲をきちんと演奏しようと思ったら、演奏をする人は、その曲が好きでなければいけません。嫌いではない、というレベルではダメなのです。というわけで演奏家になるには「多くの曲を好きになることができる」というのが、ある意味、必須の条件になります。

  一方、何か新しい曲を書こうと思ったら、作曲をする人は、それまでに存在する曲の(ある意味)嫌いになる(欠点を指摘したり、改善点を見出したり、または 全く今までの曲の価値を否定する)必要があります。この点では、作曲家になるには「多くの曲にダメだしすることができる」というのが、ある意味、必須の条 件になります。

  演奏家と作曲家は同じ音楽の世界に住んでいますが、その考えも存在理由も全く異なります。その活動行為自体が意味のあるものである演奏家と違い、作曲家は 価値のある作品を書いたときのみ、その存在理由がでてきます。古い演奏家は死んでいくので、新しい演奏家というのは常に必要とされるのですが、作曲家は死 んでも作品が残るので、新しい作曲家は、既にある作品より優れた点をもつ作品を書くことができないと、存在の意味がありません。レオナード・バーンスタイ ンは20世紀を代表する音楽家ですが、彼は晩年まで純音楽作品が、あまり評価されなかったことにとても苦悩したといわれます。彼は、ミュージカルや映画音 楽に基づいた曲では大成功をしていましたが、純音楽作品に少しでも手を染めた人には、商用音楽の評価はあまり意味をもちません(書くのが容易で、分かりや すく受けやすい音楽だというのは分かっているからです)。もちろんバーンスタインは大指揮者として認められてはいましたが、そのことも彼にとっては些細な ことだったのかもしれません。偉大な、そして売れっ子の指揮者(演奏家)として、作曲とは相反するものを要求されながら、純音楽の作曲を続けていくこと は、とても辛いことだっただろうと思います。


 さて、ダンテの神曲という文学作品があって、以下の文章があります。

この門をくぐる者、一切の希望を捨てよ


も ちろん、これは地獄への門に彫られた言葉なのですが、もし作曲家の門などというものがあるのなら、上の文とは同じではないかもしれませんが、似たようなこ とが書かれているのではないか、と思います。一方、演奏家の門というのがあったら、きっと素敵なことが書かれているに違いありません(笑)。

2010年8月17日火曜日

SHの発音

 英語にあって日本語に無い子音というので、よく知られているものは「L」 「英語のR」「TH」なのですが、以外に知られていないものに「SH」の発音があります。それは英単語で言うと「shot」「she」「shook」 「shell」「shock」といった単語にあらわれます。

  さて、ここで「あれ?」と思う人もいるかもしれません。というのも日本語にもSHの音があって、それは「しゃ、し、しゅ、しぇ、しょ」行に現れていている からです。学校でSHは日本語と英語で同じと習った人もいるかもしれませんが、間違っているので忘れてください。この英語と日本語のSHの音は「違う音」 です。あまり聴きなれていないと、この英語と日本語のSHは同じに聞こえてしまうのでしょうがないかもしれませんが・・・。ですが、英語のネイティブの人 が「この日本人のSHの発音は何か変だなぁ」と感じたり、日本人が「この外国人の話す《し》の音は何か変だなぁ」と漠然と感じる原因になったりもするの で、SHの発音の習得は発音力アップには必須!と覚えてください。

  日本語のSHの音は「無声歯茎硬口蓋摩擦音」 、英語のSHの音は「無声後部歯茎摩擦音」と学問的には呼ばれていますが、この二つの音の違いを作る大きな原因は舌の位置です。乱暴に言えば、日本語の SHは、「い」の母音のような舌の位置で、英語のSHは「(英語の)う」の母音のような舌の位置だ、ということになります。そして、殆どの場合、英語の SHの発音には若干、唇の丸まりも加わります。以上のことから、音響学観点から言えば、日本語のSHの方が高音の成分を含んだ音がつくられます。ちなみ に、フランス語やイタリア語、そして合唱をする人ならばラテン語のSHも全て英語のSHと同じです。

 さて、私がこのSHの音の違いを強く感じるのは、外国の合唱団に日本語や私の日本語曲の指導をするときです。英語圏の合唱団の場合は、経験から言って、日本語のSH(主に「し」の発音)と促音(「っ」)さえできれば、発音的にぐーっと完成に近づきます。

 ここでは具体的な練習方法は書きませんが、みなんも英語の発音を勉強するときには、RやLやTHといった強豪だけではく、SHにも注意を払うと外国語だけではなく日本語の発音もより良いものになるのではないか、と思います。

2010年8月12日木曜日

1%のひらめきと99%の努力

天才は1%のひらめきと99%の努力
Genius is 1% inspiration and 99% perspiration.

  これはトマス・エジソンの有名な言葉ですが、これは努力の重要性を示す言葉として引用されることがよくあります。しかし、私にとってこの文は、ひらめき (インスピレーション)の重要性を示すものです。言い換えるならば「ひらめきがない努力には意味が無い」ということであり、音楽的に言い換えれば「素晴ら しい楽曲は、ひらめきという土台に立てられた努力である」となります。

  このような考え方は、芸術だけではなくビジネスにおいても大切なことです。「失敗するなら、速くそして早く(Fail fast and fail early.)」というのはビジネス界では有名な言葉ですが、これもエジソンの言葉と基本的には同じことを言っています。どれだけ努力をしようが、最初の 前提やステップが間違っているもの(ひらめきがないもの)は成功しない。だから、失敗を受け入れるのが速く、そして早いほど、相対的に損害も減り、次への 成功の確率が高くなる、というものです。

  人や物が成功するには、「努力」または「努力した」ということに対して執着をしてはいけません。「努力」は、人間性の評価には重要なことですが、努力自体 は、個人の技術的・能力的な成熟度や製作物の価値には全く関係ありませんし、場合によって、それは冷静で客観的な判断をするのを曇らせてしまいます。

天才は1%のひらめきと99%の努力だが、0%のひらめきと99%の努力からは何も生まれない
Genius is 1% inspiration and 99% perspiration, and Nothing is 0% inspiration and 99% perspiration.

 少々冷たいようにも思えますが、このことに早く気づき行動をおこす、または修正していくことは重要なことだと思いますが、皆さんはどう感じますか?

2010年8月10日火曜日

KUSC

 ロサンゼルスには、KUSCという24時間放送のクラシック音楽専門FMラジオ局があります。ロサンゼルスに住んでいたときには、車に乗っているときに聴いていて、「これは!」と思った曲のタイトルなどを局の公式サイトでチェックしていました。
今は、ロサンゼルスに住んでいませんが、KUSCはインターネット放送もやっているので、ネットを通しても聴けます。よい時代になったものです(笑)。もし、コンピュータで作業する時間が長い皆さんは、聞いてみてはいかがでしょうか?


KUSCのサイト


サイト上の”Listen Now”できけます。
Playlistでは放送予定曲や情報が確認できます(ロサンゼルス・西海岸時間表示です)。

2010年8月3日火曜日

コル・レーニョ

 オーケストラの弦楽器の奏法に「col legno(コル・レーニョ)」というのがあります。これは、「弦を弓の木の部分で叩いて音を出す」奏法で、通常の「弦を弓の毛の部分でこすって音を出す」ものとは違い、叩くノイズが虫のように入った特別な音になります。

 さて、このコル・レーニョですが、弓が傷つく可能性があるので、弦奏者には敬遠される奏法です。良い弓は、良い楽器と同じくらい高価なので、私も、コル・レーニョは、なるべくピアノかそれより弱い音量の所でしか指定しないようにしています。

  ですが、映像のための音楽、特にホラーやミステリーのシーンには、強いコルレーニョがどうしても必要なときが出てきます。さて、そのような音楽があるオー ケストラ録音の際には、私は必ず、「未使用の鉛筆」をたくさん持っていって、バイオリンやビオラ奏者には弓の代わりに鉛筆で弦を叩くように頼んでいます。 初めての一緒になる奏者は、「え?」という顔をしますが、実際のところ、小さい鉛筆は弓よりもコントロールしやすく、弓のときとは違い、奏者も思い切り良 く鉛筆で弦を叩いてくれるので、結果として、弓を使うよりも鉛筆の方が良いコルレーニョの音が出ます(笑)。チェロやベースは鉛筆だと軽すぎるので、太目 の油性マジック等を使ってもらいます。

 もちろん、これは録音セッションだから可能なことで、コンサートでこれをやったら、冗談になってしまうでしょう。ということで、私は常々、弦楽器製作者が立派なコンサート用鉛筆やコンサート用油性マジックを製作してくれたらいいのになー、と思っています(笑)。

2010年8月1日日曜日

精神

私が中・高校生の頃に読んでいた漫画に、「3x3 EYES (サザンアイズ)」高田裕三・作というものがあります。この漫画に、瀕死の老魔術師マドゥライ(コーネリー)が、主人公・藤井八雲に、戦い方を教える、と いうシーンがあります。そこで、マドゥライは八雲の心に以下のように語りかけます。




驚くことはない 八雲!!!
落ち着いてイメージを広げるのだ

常識に縛られるな!! 限界を考えるな!!
いつでも思考は無限に広げろ!!

自分には無限の力があるのだと―
今は発揮の仕方が分からぬだけだと―
そう自分を信じるのだ

そうでなければ たった一度しかない人生が終わる時まで
己<おのれ>という最高の僕<しもべ>をコントロールしきる事はできぬ!!

肉体に限界はあるが精神に限界はない
自分の力を信じよ


(TAKADA Yuzo, 3x3 Eyes vol. 17., Kodansya, INC, Tokyo Japan, 1994, p107-109)




このシーンは私のお気に入りなのですが、このマドゥライの台詞は、創作をするときには特に心に留めておきたいと思っています。



2010年7月30日金曜日

スペシャリスト と 研究

 「音楽大学を卒業した人ならば、音楽のスペシャリスト(音楽家)に違いない!」と信じる方は多いため、「そんな事は、ほとんどどないよ」と答えて も、みなさん納得されません。ですが少し視点を変えて、例えば「大学の経済学部を卒業した人の全員が経済のスペシャリストですか?」と聞けば、「そんな事 はないです」とみなさん答えますし、「生物学部を卒業した人の全員が生物学のスペシャリストなわけではありませんよね」と言うと皆さん納得されます。そう いったやり取りの後だと「音楽大学を卒業した人の全員が音楽のスペシャリストであるわけはない」という事に大半の人が納得されます。


「知 識」に限って言えば、大学の、特に学士課程で学ぶことができる事というのは、たかが知れていて、専門性から言えば、はっきりいってどの専攻にもそんなに違 いはありません。音楽専攻の人は、経済専攻の人よりも音楽をちょっぴり良く知っている、経済専攻の人は音楽専攻の人より経済のことをちょこっと良く知って いる、といったレベルぐらいが現実です。


「専門性」という観点で見れば、大学が真価を発揮するのは大学院からです。 大学院では、それまでの「学習」は終わり、「研究」が始まります。もちろん、「研究」は大学院でなければできない、ということではありませんが、ある分野 のスペシャリストになるには、この「研究」というのが必須になってきます。


  スペシャリストや「ある道の専門家」とみなされる人たちは、意識的・無意識的にかかわらず、必ず専門分野に関する研究を行っています。そして、この「研 究」の有無そして、「研究を行う能力」の有無というのが専門家と非専門家をはっきりと分ける、と私は思います。これは音楽でも同じですが、「研究」は単に 「楽器の練習をする」とか「曲を書く」という事とは全く別な次元の行為になります。みなさんも、次回「音楽家」に出会ったら、彼らの「研究」のことを聞い てみると良いでしょう。素晴らしい音楽家であればあるほど、素晴らしい「研究」の成果を垣間見ることができると思います。

2010年7月28日水曜日

ハイドン、モーツァルト、ベートーベン in Lesson

 みなさんはハイドン、モーツァルト、ベートーベンの中ではどの作曲家が好きですか?私にとってこの質問は、ハイドンかモーツァルトでどっちの作曲 家の作品 が好きか?というものになります(ベートーベンは別格なので横によける)。私はハイドンが好きですが、この質問(ハイドンかモーツァルト)を音楽家の人に すると、大体「モーツァルト」、という答えが返ってきます(笑)。




さて、ハイドン、モー ツァルト、ベートーベン。この3人は西洋音楽史で言う古典派の最重要の作曲家で、日本では「ウィーン古典派」とも呼ばれます。バロック期のバッハとヘンデ ルの楽曲とともに、ウィーン古典派の楽曲は西洋音楽の根幹をなしています。なお、英語でウィーン古典派は「The First Viennese School」と言い、直訳すれば「第一ウィーン派」となります。Schoolは「学校」のではなく「流派」の意です。


さ て、私は、ウィーン古典派の作曲家の中では、ハイドンの楽曲が一番バランスが取れていて親しみやすく、作曲をでも学ぼうかな?と思っている人にとっては良 い教材だと思っています。というわけで私のプライベートレッスンでは、和声の基礎がわかってきた人に実際に楽曲中で生かす方法を教える際には、大体ハイド ンの弦楽四重奏等を例に使っています。
ベートーベンの楽曲は、色々な面でハイドンより複雑であり、その意味では初心者の勉強にはあまり適し ていません。ですが、中級レベルで「少し長い楽曲でも書いてみよう!」と意気込む生徒さんに楽曲形式やアイデアの発展の仕方などを教えるには、ベートーベ ンの楽曲はぴったりの教材です。
一方、残念ながら私はモーツァルトの楽曲を作曲のレッスンで教材として使ったことがありませんが、彼の交響 曲やオペラは指揮のレッスンをするにはとてもよい教材になります。実際に、モーツァルトの作品が、ウィーン古典派の指揮者が必要な作品中では一番演奏頻度 が高いので、その点でもモーツァルトの勉強をするのは重要です。




ウィーン古典派の楽曲は、実際に演奏される楽曲としての価値だけでなく、このようにレッスン中にも役に立ってもらっているありがたい存在なのですが、作曲者がずーっと昔に亡くなっているために、楽譜や録音が安いか無料だ、というのも助かります。

2010年7月25日日曜日

ソングライターとしてのブラームス

  ブラームスは、19世紀ロマン派の保守的な作曲家の代表として知られて います。ブラームスの楽曲は、均整が取れていてよく構成されており、これらの点において古典派からの正統な伝統を受け継いでいるといってよいでしょう。し かし、これらの点は、ワーグナー等の作品と比べると、「自由さがない」「色彩感がない」「ロマンティックではない」という評価にもつながっています。
  私は、ブラームスの楽曲を交響曲や室内楽から知っていったのですが、どちらかといえば「パッとしない」楽曲だと感じていて、頭の中でブラームスを「2級」の作曲家の枠に入れていました。

   私の中で、その評価が変わったのは、ブラームスの歌曲を知りだしてからです。ピアノ曲の中にも、とても美しいものがありますが、ブラームスの歌曲は、ロ マン派時代に作られたどの作品にも匹敵するだけの「ロマンティックさ」をもったものが多いのです。彼の歌曲を知るにつれ、私はブラームスが、なぜもっと器 楽曲や大規模な曲に、歌曲の中にあるようなロマンティックさを入れなかったのか?と疑問に思うようになりました。もし、ブラームスが交響詩を書いていた ら、このジャンルの傑作を書いたことに間違いはないと思います。そして、その作品は、「神話」や「歴史」などを巻き込んだ大きなものではなく、とても個人 的で内から湧き出るような美しい作品になったのではないでしょうか。ブラームスの作品を聞くたびに、残念でなりません。









2010年7月22日木曜日

男性であること 歌を教えるということ 昔の記録があるということ

   男性である、ということは歌が好きな人にとって、不利な点がいくつかあるのですが、その中の一つが「変声がある」ということです。変声をすると、新しい声 (楽器)の使い方を一から覚え直さなければいけません。声を、年齢とともに素直に伸ばすことができない、というわけです。変声中に音楽や歌から離れてしま う男の子や、運動部で声をつぶす男の子もいます。女性はこの点において余り心配ありません。

  さて、男性にとって不利な「変声」ですが、歌を教える、ということを始めると、とても有利になってきます。というのも、男性は男性のレンジで歌う事がで き、女性の(子供のときの)レンジでも歌った経験があるからです。 女性は男性のレンジで歌うことは基本的には一生なく、また変声も経験しないため、女性が男性を指導すると、意外と苦労する、ということが多くあります。

   当たり前のことですが、男性がこの利点を生かすには、変声前にどのような感覚で、どのように歌っていたかを覚えていなくてはいけません。幸運なことに、私 はどれくらいで声を転換させていたか?など結構はっきりと覚えていて、これらのことは、子供や女性に教えるときにとても役に立っています。

   さて、自分の記憶とは別に、変声前と変声後の練習や演奏を録音したテープも残っていて、それらは自分の記憶や感覚を呼び起こすのに役立っています。自分 がファルセットやビブラートなどを身に着けていった過程が分かる良い記録なのですが、ボーイソプラノだった頃のものは良いとしても、中高生の時のものを聞 くと、ハリセンで当時の自分をすっぱたきたい気分になります(笑)。
   最近、久しぶりに井上雄彦・作、漫画「SLAM DUNK」を読み返す機会があったのですが、その中に、バスケットボール初心者・桜木花道が、「シュート2万本」の特訓をする際、自分のシュートの録画を 見ながら色々と思いをめぐらす、という場面があります。自分の昔の録音を聞くのは、あんな感じです(笑)。