2017年5月18日木曜日

明治大学グリークラブによる女声合唱部の新設についての経緯

 このたび、私が常任指揮者をつとめさせていただいている男声合唱団・明治大学グリークラブ(以下、明グリ)は、本年、平成29年・2017年度より女声合唱部を新設すると発表しました。ここでは、そこに至った経緯などを、書いておきたいと思います。

 私が明治大学グリークラブとOB会のみなさんと付き合いを始めてのは2011年度初演の「Fabulae Persei(ペルセウス物語)」、そして2012年度初演の「Arbor Mundi(世界樹)」の委嘱およびそれに関連する準備からですが、客演指揮等を経て、明グリの常任指揮者を拝命して今年で3年目となります。そして4月のサークル活動の新歓の季節に、体験練習として新入生にレッスンをすることも、今年の4月5日で3回目となりました。今年は練習場所になる和泉キャンパスに少し早く到着したこともあり、明グリのみんなと雑談をする時間があったのですが、その中で、「今年も明グリに入れないか?と聞いてくる女の子がいたが断った」という話が出たのです。

 ご存知の方もいらっしゃると思いますが、明グリは明治大学公認(明治大学の学部生で構成されている)の男声合唱団です。大学には他にも公認の合唱団はありますが、混声であり、明治大学には女声合唱団は公認としては存在しませんでした。一般や他大学には、女性を男声合唱の歌唱団員として受け入れている合唱団もありますが、明グリは現在までそれも行っておりません。
 混声の団体があるにも関わらず、各人の様々な理由から、男声合唱団である明グリに入りたいという意思を表明している女の子たちがいること、そして過去には女声をやりたいけれど明治にはできないので、混声をやっている又は外部の女声合唱団に所属している、という人の話も聞いていたこともあり、4月5日の時点で、まず以下の告知を私と明グリのツイッターから発信しました。


 まず、私個人の「機会」に関する基本理念は以下の2つです。
1)全ての人に機会は与えられるべきである。
2)自分の努力ではどうにもならない部分で、機会は失われてはいけない。
 特に2)は大切だと私は思います。私自身、自分でどうにもならない部分で、例えば、男だから・女だから・日本人だから・アジア人だから・などの理由で、機会が奪われるのは嫌ですし、他の人にもそのような理由の元、機会が奪われてほしくないと思っています。そして、明治大学に学部生として入学してきた個人が、性別という理由において公認団体に入部できないという現状には変化が必要だ、と感じたのです。
 
 以上を踏まえ、5月6日開催の男声六連コンサートのためのリハーサル日(4月14日)に、現役2・3・4年生に、①女声合唱を明治大学でやりたい、という学生がいたら、明治大学公認という立場、そして、現役を思いサポートをしてくれるOB会を持つ、という恵まれた立場で合唱をやらせてもらっている明グリとしては、全力でサポートしようじゃないか!という旨、②男声合唱団への女性の入部についての検討③歌唱団員ではないが、何らかの形で明グリの活動に貢献したいと願い、入部を希望している明大学部生の受け入れ、という3つの提案をしました。そして、翌15日には、OB総会が開かれたこともあったので、私も総会に赴き、懇親会の場ではありましたが、OB会の皆様にも私の気持ちのお伝えしました。

 さて、明グリは、団員のほぼ9割、年によっては全員が合唱初心者、合唱部活動未経験者として入部をしてきます。彼らは何を求めて、また何に惹かれて男声合唱団などという(笑)、ある種のむさくるしい団体に入ってきたのか(入ってしまったのか)?…まぁ、それには色々な理由があるでしょう。もちろん、体験練習や新歓期の演奏を通して、男声合唱音楽作品や明グリサウンドを気にいり入部してくる団員もいますが、かなり大きな部分を占めるのは「男性だけで運営していることから生まれる居心地の良さ」などという、ある意味、訳の分からない理由(笑)だったりします。男子校経験者や、スポーツ部活動経験者、または男兄弟だけの家族出身者など、こういう場所を求めている子たちは割と多いということは事実ですし、新歓期も、ここを魅力として新入生にアピールしているのも知っています。さて、上級生には4月14日の段階で上記の①②③を検討するように伝えてはいましたが、新入部員には、もちろんそのことは伝わっておらず、上級生の中でも反応は様々なものがありましたし、特に②に関しては、懸念を表明する学生がいるのも承知していました。明グリは、過去に、交歓演奏会で長年一緒に活動させてもらっている立命館大学メンネルコールをならって「女子マネージャー制度」というのも検討したこともありましたが、こちらは立ち消えとなっていたこともあります。私も、別に運営を助けるマネージャー制度を入れるのは構わないとしても、別に「女子」にこだわる必要はないし、運営を頑張ってみるのも学生サークルの大切な活動意義だ思っていたこともあって、その時は特に何も言いませんでしたが。

 私は職業柄、様々な団や会社をみてきましたが、公務員や教員など、変化を導入し、それが成功したことに対してボーナスが出るような業種ではなかったり、年度で人が入れ替わるような団体は、「ボトムアップで変化を迅速におこす」ことを苦手とする傾向があります。私は、今までずっと明グリを学生運営・学生主体の団体として、彼らがやりたいと願うことを音楽面でサポートするという立場でいましたが、今回のようなことは、学生のみで事が素早く進むとは思っていませんでした。組織論として、トップ、または権力を持っている人が権力を行使しなくても運営・進化できる組織が健全、という考えを信じていますが、今回は、常任という立場を利用し、新入生も参加した新歓合宿の最終日、5月14日の反省会の時に、少なくても①に関して明グリは即座に表明をする、ということを団員に直接伝え、②③については、一年生にも今後の課題として検討するよう伝えました。
 明グリは、私個人が作り運営している団体ではないので、強権を発動するのはここまでです。長期的にみれば、明グリは②や③も受け入れる土壌をもった懐も深い団体に、またはそういうことができる人間が育つ場に明治大学グリークラブがなってほしいと私は思いますし、明治大学グリークラブは「常に新しい」ということを標榜しているので、こういったことにも積極的に挑戦してもらいたく思います。また、厳しい言い方をすれば、誰かを排除することで得られた、または誰かの権利を無視することによって得られた権益を守るということに走る人物にも団体にも魅力はなく、社会や時代の変化に対応するのをやめた、または挑戦や進化をやめた団体や会社には未来はない、ということは恐らく証明可能な事実だ、ということも感じてほしく思います。

 以上のような経過を踏まえ、5月16日に、明グリの公式ツイッターより女声部新設のアナウンスを行ってもらいました。
 年度のはじめ、またはその前のアナウンスではなく、5月半ばというある意味、中途半端な時期の発表だったのは、こういう経緯があります。はっきりと書いておきますが、明グリを混声にしよう、という気などはサラサラないです。そもそも、既に明治には公認の混声団体がありますから。(ただ、現在の明グリは、その後の人生で混声の団に入ったとしても、即戦力になれるような声づくり・アンサンブルづくりを目指してはいます)

 男声六連で毎年、そして四女連でも私は昨年お世話になっている立教大学グリークラブや慶應義塾ワグネル・ソサィエティーのように、明治大学グリークラブの中に別組織として女声合唱団をつくるのか、または、新たなサークルとして立ち上げるのかということは、正直に言えば、まだ未定です。今まで機会がなかった明治大学で女声合唱をやりたいと思う参加者にとって、一番やりやすい形式であればいいなと思っていて、もし参加者が望むなら、インカレのサークルなどの可能性もこの際、否定しない、と私は考えています。もちろん、そうなれば明グリの内部の組織ではなくなるかもしれません、新設する!とか言っておいて違う方向になってしまう可能性はありますが、それであっても、明グリの、ちょっぴりシャイな愛すべきバカな仲間たちにとって、ネットワークと視野を広げる良い機会になると思っています。(たとえ冗談だとしても、いつまでも「オンナノコニガテー」などと小学4年生みたいなこと言ってるんじゃない、コンチクショー! 自分のカーチャンが部室に登場したらヤバイって感じにしとくな 気楽さとか以前の問題だぞ シッカリシロー!)

 さて、実務面・運営面でいえば、今まで、女声合唱団は明治になかったので、やってみようというポテンシャルをもっている人たちは、既に何らかの形で合唱団に参加している可能性がある、ということは十分に承知をしています。それを踏まえて、とりあえず、最初はあまり負担のかからない練習日程・場所・部費だったりになればいいと思っています。とりあえず、週1・和泉キャンバス・部費ゼロ、からのスタートが妥当でしょうか?言い出しっぺは私でもありますので、明グリの負担をなくすためにも、私もなるべく和泉キャンパスに赴き、時間的にも金銭的にもできる限りのサポートをいたします。

 とりあえず、5月18日は、私は4時以降、和泉キャンバスにいます。今のところ2人の学生と話をすることになっていますが、興味があれば是非、顔を出してください!
 私のツイッター もしくは、私の公式サイトにあるメールから連絡してくれればと思います。
 
 と、まぁ、色々ありますが、明グリは元気です!新入団員も私が知る限り去年の15人を超えてきて、新歓合宿では40人を超える合唱団をみるのは嬉しいものでした。次は立命館メンネルコールとの合同演奏が7月1日に立命館の茨木キャンパスで行われます。団員の自分が成長したい・明グリを良くしていきたいという思いにもっと答えられるように、そして、合唱を楽しみ、お互いを尊び、そして学生時代にふさわしい広がりあがる活動・場になるよう今後も頑張ります。

2017年5月8日月曜日

六連後 オールにて

 GW、そして男声六連が終わりました。私たち明治大学グリークラブの演奏は、次の大阪の明立合同までにさらに良くするとして、今回の大きな収穫は、恒例のオール打上に、ボイトレの杉山先生がいつもより長くいられた為に、学生と一緒に次年度以降を視野にいれての練習・ボイトレ・基礎錬・運営のあり方などについて色々と話せた事でした。

 まず、明治大学グリークラブに入団してくる大学生は、ほぼ合唱・音楽活動未経験者です。 練習は週三回、指揮者練習は本番前に5回という現状で、私としてはこれが大学生運営のクラブ活動の学業や他の活動に支障をきたさない最大であり、可能であれば減らせると良い、と思っています。  これには、音楽初心者に①音楽家として成長してもらう ②声楽家として成長してもらうということが必要なのですが、具体的には①に関しては譜読みと音取りを早くできるようにする、 ②に関しては、実声とファルセットの音域・音量の拡張、ジャンルによった響きと歌唱スタイルの幅をもつ、外国語・特に英語の発音はしっかりやろうよ、ということになります。 要するに、合唱という集団活動は、個の力の結集であって、全体の演奏レベルを上げるには個の力をどれだけ効率よく伸ばせるか、ということにかかっているといえます。個のレベルがあがれば、よりアンサンブルを作ることに時間を割くこともできますし、その時間も短くでき、より多様な音楽に触れる機会も生まれるでしょうし、社会人のさらに限られた時間の中でも音楽を自分なりに作っていける道にもなると思います。

 また、学生運営のクラブ活動の問題としては、①数年で人が入れ替わる、ということに端を発する、運営引継ぎの不備やスケジュールや予算管理の甘さ  ②目標や目的、方向性・熱意といったものの相違から生まれる問題、があげられます。  学生の趣味活動であるクラブは、基本的に参加者相互の「やる気・好きだという思い」によって成り立ち、総意や総力によって行動が決定されます。学生誰かの鶴の一声で、強制的に物事が決まるようでも、または能力が高い学生個人に頼った行動も決定も、組織のあり方としてはマズイのです。 その意味では、社会経験不足またはミスから発生する問題や、ある種の熱意が暴走することといったことを防ぎつつ、結果ではなく積極的な行動や挑戦そのものを評価する土台作りが必要です。また、組織内の風通しのよさを確認し、他を尊重しない心や未熟さから生まれる好ましくない行動や言動については、他の学生と該当学生の将来を考え、社会人側が成長を促すのも責任だと感じました。



 オールでは、上記、またその他のことも含め、積極的な意見交換と上記を行なうようにする体制作りについて話をすることができました。なにより、現役の学生が、先を見据えてもっと良い団体にしようと色々考えてくれていることが、非常に嬉しかったです。

 明治大学グリークラブは明治大学の公認団体です。もちろん男声合唱団をしていますが、私は音楽を通して様々な広がり・経験・成長を感じられる活動であって欲しいと思います。と同時に、明治大学に入学し、お互いを尊重し、友情を大切にし、音楽を愛する人であれば、分け隔てなく受け入れ(私の望みでは男女の違いなく)、そして共に活動できる「男前の団体」であり、そういった人が集い、巣立ち、そして社会人となっても戻る場がある場でありたいと思っています。

2016年12月31日土曜日

熱意の共有

 一年前の第一回コーラスセントラル合宿録音後のアンケートに、「ユースや普通の合宿合唱団より内容が濃かった」という意見がありました。私は勝手にその理由を「録音」という性質に起因していると思っています。

 コーラス・セントラルは録音が第一の目的です。例え、参加者が上手くならなくても、演奏が上手くいかなくても、なーんにも学ばなくても時間がきたら終わる、というようなコンサートや宿泊イベントではないため、「合唱の演奏を残す」という目的が達成されないと、やった意味が無い、ということになります。やった感とか、楽しかった思い出だけでは意味が無いのです。加えて、とりあえず出しておけばいいや的な適当なホールマイクの録音でも家庭用カメラ1個だけの定点ビデオ録画をやってるわけではなく、「自作品の演奏アーカイブとして(超重要)、これなら(とりあえず)OK!」という質に達しないといけないという基準もあります。

 オプション日も入れ3泊4日の宿泊・宿泊・楽譜・食事代を含む参加費2万円では、イベント単体で見ると私の会社的にも個人的にも(大)赤字です。ですが、だからこそ、私自身も、お金を払って参加している皆さんに、良いサービスと練習・環境・音楽を提供し、やる気になってもらい、良い演奏を残し、それを販売して赤字をなんとかする(笑)やる気もでます。


 仕事で何でも、集団で行動・活動するには目的というのは大事です。しかし、必ずしも目的が共有できるとは限りませんし、目的を「知ってる」だけでも意味ないです。私は、いつも「熱意の強要はできない」と思っています。そして、「熱意の共有が出来たときは嬉しい」とも。

 一年の終わりに、全国の様々な場所から集まり、「熱意の共有が出来た」と思わせてくれた第二回コーラス・セントラルの皆様に御礼を申し上げます。

 編集頑張るよ!

2016年12月27日火曜日

録音計画と新しい合唱団・アンサンブルとか 2017年に向けて

 2年前に自作合唱曲のCD録音を考えた時、日本のプロ団体を雇わないの?と聞かれましたが、正直にいうと特に発音の面において(日本語でも)私が求めるレベルを『集団』で満たしている既存の団体が存在しないので、お金を払って雇う気にはなれなかったのです。 お金を払ってOJTやるわけにはいきません。 それなら、やる気と力を持ったアマチュアの方々を訓練し、リスクを共有したほうが、教育的な価値もあり、コストも抑えられ、プロの方と比べて時間、音楽、声楽能力の制限を鑑みても、難度など選曲を間違わなければ費用対効果も良く私も納得できる結果が出せそうだ、という判断になったのです。
 コーラスセントラルは、ワークショップを含め名古屋ユースクワイアの3年間の活動がある人たちも多く参加しているので、その意味では4~5年かかっている録音プロジェクトです。 しかし私が今、関東に住んでいる、ということには変わりはないので、来年は、関東での違った形でのアマチュア合唱団も作るために本格的に動きたいとは思っています。
 そして、この人なら報酬を払ってでも!、という人たち、または経済リスクを共有できる人たちとプロ合唱、そしてプロの小編成オケなどのアンサンブルを作ることも考えていきたいとは思います。 頑張るよ、社長兼CEO(役員報酬ゼロ・笑)として!

2016年5月26日木曜日

私的使用のコピー譜に関する解説 (演奏上の譜めくりに必要な部分のコピーの解説も含む)

 先日、とある人から「製本された楽譜を買って、汚くなるのが嫌だからコピーして、それを使うのって良いのですか?」と聞かれました。音楽や演劇など、芸術本体の設計図的な役割をする楽譜や脚本を扱う再現芸術の分野で活動してれば、この問題はかなり現実的なものです。
 さて、私は一応、この分野では国家資格(笑)を持っていますが、著作を作りだす著作者であり、かつ著作権者として出版社も運用する立場を踏まえて私の意見を書くことにしました。本文は、ツイッターに書いた文章に加筆したものです。皆さんの著作に関する権利の理解の啓蒙に貢献できれば幸いです。

 さて、まず「製本された楽譜を買って、汚くなるのが嫌だからコピーして、それを使うのって良いのですか?」という質問は、日本の著作権法的に考えると、以上のような用途は「私的使用」にあたるのか?という質問となります。「私的使用」は、著作権法の第30条に規定されている用語で、「個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用すること」と定義をされています。日本の著作権法は、私的使用において複製、つまりコピーを認めています。
 最初に断っておきますが、まず私は現段階で、この質問に合致するような日本国内の判例を持ち合わせていないので、日本の裁判所の判断はわかりません。ただ、まず米国ではダメだ、と解釈されています。

 もちろん、日本は米国ではありませんが、とりあえず、まず細かな説明をする前に著作権法とは何なのか、ということも含めて、おさらいをしておきたいと思います。

<法目的と手段>
 さて、まず著作権法というのがどういう目的で存在しているのか、という法目的について確認をしましょう。著作権法の目的とは「文化の発展に寄与すること」です。このことは、著作権法の第1条にも書かれてあります。ちなみに、米国の著作権法を含めた知的財産権の関連法律群の目的は「to promote the progress of science and useful arts(科学と有用な芸術の発展を奨励する)」です。その手段として、公正な利用を鑑みた上で、対象となる著作物を定義し、著作者に一定の権利を、一定期間認め、保護の対象としている、というわけです。
 著作者に認められた権利、というのには各国の著作権法により、色々と差がありますが、米国のものは割とわかりやすく5つにまとめられていますので、ここではそれを紹介することにします。日本も基本的には同じです。

 著作者は
  1. right to reproduce
   著作物を複製する権利をもつ
  2. right to make derivative works
   著作物から、二次創作や編曲、改変作など派生作品を作る権利をもつ
  3. right to distribute
   著作物の複製を公に流通・販売する権利をもつ
  4. right to perform
   著作物を公に演奏・上演する権利をもつ
  5. right to display
   著作物を公に展示する権利をもつ

 以上が著作者に独占的に認められています。これらの権利は、個人著作の場合、日本では著作者の死後50年後まで、著作権者に認められているわけです。また、これらの権利は譲渡することも可能ですので、著作者が著作権者とならない可能性もあります。

 ここまでの説明で、まず、著作権法は、著作から派生する権利を認めているが、無制限ではないことがお分かりいただけると思います。無制限ではないのは、そうすることが「文化の発展に寄与すること」という目的に反する、と判断されているからです。

<私的使用>
 著作権法は、公正で現実的な利用と判断される事柄に対して権利にいくつか制限を設けています。その代表的なものが第30条の「私的使用」規定で、私的使用であれば、複製権の保持者に許可を取らなくても著作物の複製は許可されている、というものです。
 まず、「私的使用」というのを、おさらいしておくと「個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用すること」でした。じゃあ、それを満たせばOKか、というと、さらに条件があり、「使用する者が複製すること」ことと、書籍触媒となっているものに関しては「公衆にあってお金を入れて使うような、いわゆるコピー機を使って複製していないこと(第30条第1項まとめ)」という2点も満たす必要があります。

 最初の質問は、「製本された楽譜を買って、汚くなるのが嫌だからコピーして、それを使うのって良いのですか?」でした。まず、「使用する者が複製すること」「公衆にあってお金を入れて使うような、いわゆるコピー機を使って複製していないこと」を満たしていない場合、私的使用の条件に入らないのでダメです。条件を満たしている場合は、コピーする理由はどうであれ「個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用すること」に当てはまるかが問題となります。では、「個人的な利用」とはどういうものか、考えてみましょう。


個人的な利用
 最終的には、この部分に関しては判例を参照するしかないので、私の意見だ、ということを先に断っておきます。まず、「個人的な利用」というの逆を考えてみましょう。「個人」の対義語は「大衆」「社会」とか「団体」となります。ですので、「大衆的な利用」「社会的な利用」「団体的な利用」というのは「個人的な利用」とは考えられないわけです。
 そうなると「製本された楽譜を買って、汚くなるのが嫌だからコピーして、それを使うのって良いのですか?」という問いには、楽譜を購入したことや、コピーの目的が問題ではなく、「複製物をどこで、どう使うのか?」ということが問題となることがわかると思います。「自分の家で、自分の練習と勉強のために使う」のであれば、私的使用と認められると思います。「公衆の場、団体活動の中で使う」となれば、私的使用とは認められないでしょう。「練習は自分の家だけど、のちに社会的に、または社会に向けた演奏活動を行うため」では、どうでしょうか?おそらく、私的使用とは認められないでしょう。つまり、個人が集団活動や(やがて)公となる活動に参加した時点で、裁判所は私的使用と認めてくれないのではないか?ということとなります。
 基本的に「個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内」というのは、非常に狭いものです。例えば「じぶんちで、じっちゃんと熱海殺人事件(つかこうへい・作)を二人で演じて楽しんだ」くらいの範囲しか認められていない、と思ったほうがよいでしょう。


認められていないコピー譜を使って(もとにした)演奏をすると
 第49条の規定に従って、複製をした、こととみなされ、複製権を侵害したことになります。


まとめ
 楽譜のコピーの問題は色々あると思うのですが、楽譜を買った、という行為が、書物という複製物かつ消耗品を購入した、と思えない人の気持ちも、私は十分理解しているつもりです。しかし、書物を個人的に購入したことを根拠に、「個人的活動」が無限に広がる!と考えて「私的使用」を解釈していくは、やめた方が良いかと思います。
 ただ、特に音楽というものに対して、このように考える人たちが多く、そう考えてしまう理由も理解しているつもりなので、自分で出版社を持っている私としては、上手く今の時代やテクノロジーと会うようにやりたい、と思っています。

 著作権が保護されるのは、それが「文化の発展に寄与する」ための手段となりえるからです。私は自分の楽譜の価格と入手方法を可能な限りリーズナブルなものにしようと努めてきたつもりです。もちろん、それは日本だけでなく世界各国の様々な利用者の状況、特に日本とは相対的に経済が豊かでない国々の人たちからの声を鑑みた結果なのですが、もしそのことで私が音楽活動ができなくなってしまっては困りもします。
 結局は、さじ加減、だとは思いますが、皆様からのサポートはいつでも大歓迎ですので、ぜひご一報をお願いいたします(笑)。


PS
ピアニストなど、演奏上の現実的な譜めくりに必要な部分のコピー
 この問題は、よく器楽奏者から質問を受けます。日本の著作権法上では、明文化された条項はありませんが、私は、第32条の規定に基づいて、購入した原本に必要な小節の部分だけ付け足す、という行為に対しては「引用使用として」の複製ができると判断して良い、と考えています。
 第32条は「公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。」となっていますが、つまり、「その他の引用上の目的、すなわち実演という目的のために、公正な手段で入手した複製物をもとに行われる現実的で正当な範囲内での引用目的の複製は可能である」という解釈です。 
 実演に関して規定は、実はあまり明文化されていないところが多いのですが、法目的、つまり「文化の発展に寄与する」を鑑みれば、この現実的に必要な部分の複製は許可されるべきだ、と考えてよいでしょう。「楽譜2冊買って、片方を切って使え」は、法目的には合致しないでしょうね。

2016年5月14日土曜日

中学校課題曲、ポピュラー音楽編曲そして演奏のあり方 (教育音楽 中学・高校版 2016年4月号・掲載)

 以下は、「教育音楽 中学・高校版 20164月号」に掲載された文章です。

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編曲者の言葉
中学校課題曲、ポピュラー音楽編曲そして演奏のあり方
佐藤賢太郎
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 中学校の部は、通常の合唱部のほか、授業や学年活動の延長、有志を募った即席合唱団で参加する団の数が他部門より多く、加えて課題曲を学校・学年歌として取り組む学校も多いというのが現状です。「時間をかけて合唱に取り組んだり、声作りをしていない生徒によって歌われる可能性が他部門より多い楽曲」となっている課題曲がもつ現状を踏まえ、まず、声作りに時間がかけられない団にやはり高音は厳しいということから、今回の課題曲は過去の課題曲と比べて声域は狭く、最高音を低く設定してあります。また中学部門は、男女数の想定が難しく男声が非常に少ない団から、学年全体で歌う男女比が平等なのに混声三部で男声が一パートに集中する、といったバランスが悪い状態で演奏を行うことも多いため、今回の楽曲は男声の人数に関係なく演奏できるようにも努めました。
 中学課題曲のねらいは「多くの中学生が自ら合唱に興味を持ち、歌いたいと思える曲を」であり、ポピュラー音楽という最も身近なアーティストによる楽曲提供が続いている中学課題曲は多くの生徒が合唱に興味を持つきっかけとなっているでしょう。しかし「ポピュラー音楽の合唱編曲と演奏のあり方」に戸惑いを感じる指導現場の声があることも事実です。今回の編曲の基本方針は、「ポピュラー音楽であることを十分に生かす」でした。ポピュラー音楽は、一本の旋律の表情豊かな演奏と歌詞が内容の全て、といっても過言ではないため、合唱版もまずユニゾン、そしてホモフォニックな構成で旋律と歌詞を明瞭に歌い上げられる作りとし、楽曲指示は楽想というよりmiwaさんの想いを鑑みた歌詞に対する「ト書き」として、外国語ではなく日本語で書きました。楽曲は歌詞により近づいた構成とし、伴奏も生徒が弾くことも考慮した難度で素敵なものになるように努めました。演奏に関してですが、多くの指導者にとってポピュラー音楽の合唱が「普通の合唱曲」と比べ難しいと感じる理由のほとんどは「スタイル」というものに集約されます。ポピュラー音楽は、ジャズやゴスペル等と同じく演奏の本質は口伝であり、真似であり、音符への自由なアプローチにあります。それらは本質的に「楽譜に書かれない」もので、知っていなければ教えることができないものです。授業活動に加え、課題活動を指導する先生方には大変かと存じますが、本書を手にする熱心な先生方には、自らの生涯学習の一環としてもポピュラー音楽演奏を研究してほしく思います。
 さて私の課題曲制作の方針をまとめると、様々な状況の合唱団にとって取り組み易いものにすると共に、課題曲演奏でポピュラー音楽の演奏スタイルに挑戦する団体を増やす道筋を作るというものでした。今後の課題として、ポピュラー音楽合唱演奏を技術的にどのように対処すべきか、ということについて具体的な啓蒙をしなければいけない、と感じる次第です。
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 出版上の文字制限があり、私の中でかなり省略してしまった感が残っていたので加筆修正してから掲載しようかと思っていましたが、とりあえず現状のものを掲載することいたしました。



2015年12月13日日曜日

「憧れと共に」 第64回明治大学グリークラブの定期演奏会

 第64回明治大学グリークラブの定期演奏会が終了しました。本当に久しぶりですが、ブログに少し書こうと思います。

 4年前から客演という形で、明治大学グリークラブ(以下・明グリ)とは共に活動をしてきましたが、今年度から常任指揮者を拝命したことで、この1年はより長い時間を彼らと一緒に過ごしてきました。新歓の時期に一緒に活動し(他クラブより新歓され)、5月の東京男声六連のコンサートに出て、7月に立命館大学メンネルコールとの交換演奏会を行い、9月には合宿に参加して、10月には全日本合唱コンクールに出場し(そして人数オーバーで失格となり)、そして12月の定期演奏会を迎えたわけです。日本で大学に行っていない私にとって、明グリとの1年は「学生生活」のようなものを追体験できた時間であり、学生の喜び、そして苦しみや悩みも、より身近に感じられた時間でもありました。

 今回の定期演奏会で初演された委嘱組曲「憧れと共に」は、そんな学生達や、彼らを温かく見守っているOB達をインスピレーションに生まれた作品です。以下に演奏会プログラムにのせた文章の一部を載せておきます。

 本楽曲「憧れと共に」は、2014年7月5日に行われた第53回明立交歓演奏会のために作詞・作曲された立命館大学メンネルコール・明治大学グリークラブ による合同委嘱曲である無伴奏男声合唱曲「僕が歌う理由<わけ>」を第四楽章として含む全五楽章のピアノ伴奏付男声合唱組曲です。私の合唱作品としては、初めてのオリジナル日本語男声合唱組曲となります。
 作品の主題は、先行して制作されていた第四楽章の題でもある「僕が歌う理由<わけ>」です。団員のほぼ全員が初心者として入団してくる明治大学グリークラブですが、様々な活動の可能性があっただろう大学生活の中で、合唱を選んだ(選んでしまった!)学生の「音楽を選んだ自分たち」を歌う作品、そして人生の少し先を行く私からの学生達の今後の人生に向けた想いをこめた作品になることを願って作詞作曲を行いました。また、本組曲は機会があれば混声版等をつくること、本組曲「憧れと共に」の第一楽章「歌に憧れて」を最終曲とした「憧れを追いかけて」という主に中高生を対象とした作品を作ることも視野に入れた広がりのある作品となっています。

 この楽曲を創作するにあたりインスピレーションの源泉となった明治大学グリークラブ、立命館大学メンネルコール、そして今でも合唱活動を続けている各団体のOBの皆様に御礼を申し上げます。





1. 歌に憧れて
 初めて音楽に出会ったときのことなんて
覚えていないけど
初めて音楽に恋をしたときのことは
なぜか覚えているんだ

あの時から
無数のメロディーに心奪われ
歌声に心動かされ
体全てが音楽で満たされたときの
あの胸の高鳴り追いかけて
いつの間にか

歌に憧れて
音楽に憧れて
少し背伸びして手にとった楽譜に
僕の音楽は流れ出した

あの曲に憧れた
音楽に憧れた僕の心は
歌い出してしまった
いつの間にか


初めの舞台の記憶なんて
かすかに残る思い出だけど
僕を照らした光の眩しさだけは
なぜか覚えているんだ

あれから何回
音楽に心洗われ
歌声に心揺さぶられ
体全てが情熱に溢れた人の
あの輝き追いかけて
いつの間にか

舞台に憧れて
声の力に憧れて
自分の想いを伝えられる空間で
僕の心は育ち始めた

そして歌に憧れた
音楽に憧れた僕の心は
歌い出してしまったんだ
いつの間にか


2. 音楽になって
誰もいない音楽室
僕だけの音楽室
そっと静かに
ピアノの蓋をあけて
人差し指でなぞった優しいドレミの音

始まりは
いつものドレミの音にのせて
歌の練習から

声にのせて 音たちが
つながりあい かさなりあい
僕の中に 流れる音楽に
心の中の音符たちは
音を 色を 動きを
命を吹き込まれて
音楽になって消えた


楽譜を開けば そこには
誰かが書いた
白黒の音楽の設計図

そっと静かに
声に想いをこめたら 音たちが
つながりあい かさなりあい
僕の心から流れる音楽に
楽譜の上のただの記号たちは
音を 色を 動きを
命を吹き込まれて
音楽になって 嬉しそう消えた



3. 決意
 無数の夢見る人たちの中で
憧れを決意に変えた人がいた
無数の夢に満ちた暗闇の中で
静かに心を燃やす人がいた

迷いを抱きしめる覚悟を
焦りを飲み込む覚悟を
自分を見つめる覚悟をした人がいた

分かれ道で立ち止まる人たちの中で
一人 静かに歩き始めた人がいた


4. 僕が歌う理由<わけ>
鳥がさえずるわけを知りたいなら
風に口笛の音をのせてみればわかるさ
大きな自然に抱かれ明日を夢見る幸せ
そして 共にさえずる誰かが集う喜び

僕が歌うわけもわかるだろう?
この歌が消えていく先にある何かを
ここに集う仲間と
そして あなたと感じるためさ


 5. 僕の歌が続く理由<わけ>
 僕は今まで
いくつの夢を見たのだろう?
いくつの憧れを いくつの願いを
言葉に 歌に
音楽に託したのだろう?

いつか僕が受け取った多くの憧れは
音楽となって誰かの心へとそっと旅立った
そして憧れがつないだ この絆は
新たな出会いへと
挑戦へと 僕を動かした

初めて音楽に出会った時のことなんて
覚えていないけど
あの時 音楽に見た憧れだけは
なぜか僕の中で輝いてるんだ

歌に憧れて
音楽に憧れて
あの時 背伸びして手に取った楽譜が
また僕を音楽へ誘いだした
そして歌に憧れた
音楽に憧れた僕の心は
歌い続けていくんだ これからも
憧れと共に